推しには言えないこの気持ち

とあるガチ恋女の問わず語りブログ

推し事クロニクル15 信じ切れずに

※登場人物はすべて仮名です。

 

■2004年夏

 

宮本さん(推し)に迷惑がられているのでは・・という思いにとらわれるようになった私は、あるとき、浅野さんへのメールで尋ねてしまったことがあります。
「私自身の存在や私が作ったファンサイト、宮本さんにはご迷惑なんじゃないでしょうか」と。

 

すると浅野さんは返信で言うのでした。
「僕も宮本さんも、杉下さんには本当に感謝しているし、サイトは楽しく見ている」と。

 

私は素直にこの言葉を信じていれば良かったのです。

だけど、信じ切れなかった。

 

宮本さんはすごく優しい人だから。

ファンが悪気なく作ったもの、そしてそれを作ったファン自身のことを、内心嫌だったとしても「嫌なんだよね」と言葉にしたりはしないだろう。
まして、浅野さんは私のサイトが気に入っているのだ。
きっと宮本さんとの普段の雑談で、「更新されてたね」などと、私のサイトの話をすることもあるに違いない。
そういうとき、宮本さんは、浅野さんに気を遣い、楽しそうなふりをして調子を合わせているかもしれない。

 

宮本さんの本当の気持ちは、誰にも分からない。

 

そして私は、浅野さんの言葉を信じ切れなかったばかりに、1年後のある事件がきっかけで、頑張って運営してきたサイトをあっけなく閉鎖してしまうことになるのです。

 

でも、それをこのブログに書くのはもうちょっと先のお話。

推し事クロニクル14 気になる記事

※登場人物はすべて仮名です。

 

■2004年夏

 

宮本さん(推し)の関係者さんである浅野さんとメールを数通やりとりすることができて感激していた私。それから半月ほど経った頃、あるメディアに宮本さんと、浅野さんを含む関係者さん数人とのトークセッションが掲載されました。

 

ここに載っている人と自分は交流がある、その事実を嬉しく思いながら、その記事を読んでいると、すごく気になる箇所に出食わしました。

 

それは宮本さんの発言で、活動していくにあたっての考え方みたいなものだったのですが。

宮本さんがそういう考えを持っているとすると。

 

私が作ったファンサイトには、その考えにはちょっとそぐわないコンテンツがあるのでした。

 

もしかして、宮本さんはこのコンテンツを見て、「嫌なもの作ってるなあ」と思ったんじゃないだろうか。
思ったからこそ、先日のイベントで、宮本さんは浅野さんよりサイトに対してテンションが低めで、つい出てしまった言葉が「父がいちばん喜ぶと思います」(宮本さんご本人がいちばん、じゃない)だったのではないか。

 

そんなふうに推測してしまうと、私はいてもたってもいられず、その後数日で該当コンテンツを大幅リニューアルしてしまいました。具体的に言うと、それはたくさんの項目で成り立っているコンテンツでしたが、項目の9割方を削除(非公開設定)することにしたのです。

 

作るのにかなり時間をかけ、苦労したコンテンツでした。先日のイベントの際、浅野さんのほうは、そのコンテンツに関してもいろいろ褒めてくださった。
だから、削除するのはとてもつらかったけれど・・。

 

でももし。もしも、宮本さんが不快に思っているのだとしたら、サイトに公開し続ける気持ちにはなれない。

 

このことがあってから、私はますます「宮本さんに迷惑がられているのでは・・」との思いにとらわれるようになります。

 

宮本さんが当時、そのコンテンツをどう思っていたかは、私から尋ねてみたこともないし、このブログを書いている現在も、分からないままです。

推し事クロニクル13 サイトには書かず

※登場人物はすべて仮名です。

 

■2004年春

 

何日か経って、浅野さんから本当にそのグッズが送られてきました。
嬉しかった・・。
届いてすぐにまた、浅野さんにお礼のメールを書きました。

グッズは今でも大切に持っています。

 

ところで、私は宮本さん(推し)や浅野さんと会えた先日のイベントのこと、浅野さんからメールが来たこと、貴重なグッズまでもらってしまったこと・・、それらを運営しているファンサイトには一切書きませんでした。

実は、イベントの物販タイムで、宮本さんと浅野さんに自分のファンサイトがもう知られている!と判明したとき、私はこう言ってはみたのです。
「このイベントのレポートを、ファンサイトに書いてもいいですか?」と。

そのとき一瞬、宮本さんの顔に困惑の色が浮かんだのを、私は見逃さなかった。
それで「い、いや、レポートしなくても別にいいんですけども!」と慌てて言うと、宮本さんも慌てたような感じで「あ、書いてもいいですよ!」と言ったのでした。

 

そんなことがあったので、レポートを書くのはやめようと決めたのです(のちに、宮本さんがどうして困惑した様子だったのかが分かります)。

 

浅野さんからも「このメールのやりとりについて、ファンサイトに書かないでね」と頼まれたわけではなかったけれど、書かないほうがいいんだろうな・・と。

推し事クロニクル12 思いがけない申し出

※登場人物はすべて仮名です。 


■2004年春

 

浅野さんにメールの返信を書きました(ちなみに、浅野さんのアドレスは会社名が入った仕事用のものでした)。


イベントはとても楽しかったこと。

浅野さんが途中で退出して残念だったこと。
宮本さん(推し)と浅野さんがファンサイトを既に見つけていたなんて想像もしていなくて本当にびっくりしたこと、など・・。

 

浅野さんはそれにもすぐ返信をくださいました。

そして、そこには思いもよらぬ申し出が。

 

宮本さんの、あるプレゼント・キャンペーン用に作られたグッズ、浅野さんはキャンペに携わったわけではなかったのですが、このグッズを余分に持っていて、「杉下さんがお持ちじゃなければ、ひとつお譲りしましょうか?」と書いてあったのです。

 

このグッズ。

特定の条件にある人全員がもらえる、というものだったのですが、この条件に合う人は非常に少なく、かなりのレアグッズとなっていました。私も持っていなかった。

 

それをいただけてしまうの!?

 

浅野さん、私なんかになんでそんなに親切にしてくれるんだろう。
「宮本さんの良いファンに出会えた」と心から喜んでくれているということなのか・・。

 

本当にいいのかな・・と思いつつ、私は返信に自宅の住所を書いて送ったのでした。

推し事クロニクル11 家に帰ってみたら

※登場人物はすべて仮名です。

 

■2004年春

 

接触イベントの翌日。

 

ホテルで目覚めた私は、ゆっくり支度して、在来線に乗り近県へ足を延ばしました。そこには宮本さん(推し)ゆかりのスポットがいくつかあったりするので、ひとりで気ままに巡ったのです。

 

そうしている間も、昨日の貴重な出来事が嬉しく思い出されましたが、同時にだんだん寂しさのような感情も湧いてくるのでした。

それは、昨日のようなことは二度と経験できないだろうという予感から来る寂しさでもあったのですが、それだけじゃない。何から来る感情だろう。

 

いや。
何かは分かっていたのです。

 

何かと言えば、イベント中ずっと感じ取ってしまった、宮本さんと浅野さんのリアクションの差でした。

浅野さんのほうが、宮本さんファンサイトを気に入ってくれ、また、私がイベントに来たことを歓迎する態度を見せてくれていたのです。

浅野さんの反応自体は嬉しくてありがたいと思ったけれど、宮本さんファンサイトなんだもの、当たり前ですが、やっぱり誰よりも宮本さんご本人に喜んでもらいたかった・・。

 

思い返すたび、ちょっとしょぼんとしてしまう場面は、打ち上げの席で、やはり浅野さんがサイトを褒めてくださり、まだ見ていないという石川さんも「そんなに良いサイトなの?」と興味を持った様子で話題に加わる中、宮本さんが言った言葉。

 

「父がいちばん喜ぶと思います」

 

あー・・いちばんは宮本さんじゃないんだね・・って思ってしまったの。

 

本当は、サイトにどこか気に入らない点があったのかな。
その管理人が、冴えない魅力ゼロの女性でガッカリしちゃったかな。

 

そんなことを考えていると、寂しさを通り越して、どよんと落ち込んでしまうのでした。

 

さて、その日の夕方には新幹線に乗車、我が家に帰ります。

2日間の短い旅が終わりました。

 

帰宅するとすぐにPCを立ち上げ、2日間何もいじっていなかったファンサイトをチェック(当時は今のようなスマホはまだ存在せず、私はPHSユーザーで、外出時のネット接続もそれほどしない人間でした)。

それからメールソフトを起動します。

 

・・ん?

 

受信したメールの中の1通に目を留めました。

ファンサイトに設置してあるメールフォームから届いたものです。

 

浅野さんからでした。

 

短い文面でしたが、そこにはイベントお疲れ様でした、これからもどうぞよろしく的な挨拶が書かれていたのです。

 

びっくり。

 

宮本さんやその関係者さんとのご縁は昨日だけのもので、サイトを褒めてもらったとはいえ、今日からまた孤独に更新作業をしていくのだと思っていたのに(何しろ開設から1週間も経ってないのです。どこからもリンクしてもらっていないし、宮本さんファンからのコメントやメールもまったく来ていないという状況でした)。

 

メールフォームからのメール第1号が、浅野さんだなんて!

 

ご縁、続くんですね。続いちゃっていいのですね?

浅野さんと交流が続くということは、宮本さんとも繋がっているようなものなのです。

私は宮本さんにあまり良い印象を持ってもらえなかったのでは?という悲しい推測は、この瞬間はどこかにふっ飛んでいました。

 

浅野さんは、東京に戻った昨晩のうちにメールを送ってくれていました。

私は急いで、返信を打ちます。